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Your search : [ author:侯若虹=文 劉世昭=写真] Total 155 Search Results,Processed in 0.080 second(s)
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1. アカゲザルの楽園を行く
海南省(島)は中国でただ一つ省全体が熱帯に属した、有名な観光地である。熱帯特有の景色や海水、温泉、日光、ビーチ、ヤシの木、そしてみずみずしいくだものが、人々にすばらしい楽しさを運んでくれる。美しい南湾猴島南湾猴島は、海南省陵水県の南方にのびる南湾半島に位置している。面積は一〇·二平方キロ、三方が海に囲まれている。島へのルートは二つある。一つは海上、もう一つは空中だ。つまり、海を越えるロープウエーに
Author: 侯若虹=文 劉世昭=写真 Year 2003 Issue 8 PDF HTML
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2. 都市の底辺支える農民工たち
高層ビルや高速道路の建設ラッシュが続く中国の大都会。その建設現場で働いているのは、ほとんどが農村から出稼ぎに来た人々である。 都市住民の生活は、日増しに豊かになっている。レストランや美容室などのサービス業も発展したが、そこで働く人々も大多数が農村から出てきた人たちだ。
Author: 侯若虹=文 劉世昭=写真 Year 2007 Issue 3 PDF HTML
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3. ラジオがつなぐドライバーの心
活躍する道路情報連絡員商建成さん(五十三歳)は北京市のタクシードライバーだ。一九九三年にこの仕事に転職する前は、自動車工場で働いていた。「あの頃は、タクシーはこんなに多くなく、自家用車はもっと少なかった。だから走りやすかったです」と当時を振り返る。二〇〇二年からは、道路の交通情報を伝える北京交通ラジオ局(FM一〇三·九)の情報連絡員も兼ねている。車内に無線通信機器を設置し、交通ラジオ局に道路状況を
Author: 侯若虹=文 劉世昭=写真 Year 2007 Issue 8 PDF HTML
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4. 国をあげて健康づくり
Author: 劉世昭=写真 Year 2012 Issue 2 PDF HTML
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5. 規制緩和に向かう戸籍制度
「戸口」とはなにか二〇〇二年の夏休み、康計紅さんの十二歳になる息子は小学校を卒業した。息子を連れて康さんは河北省石家荘市の第六中学校に出頭したが、従来のようにまず学校に「借読費」を納めることはしないでもよかった。「石家荘城鎮戸口」と印刷された赤い表紙の証明書を取り出して見せたら、息子の入学手続きはすぐに完了した。「うちの息子は小学校一年から石家荘市の学校に通い、『借読費』を払って小学校を卒業しまし
Author: 侯若虹=文 Year 2003 Issue 11 PDF HTML
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6. 夢乗せて、有人宇宙船が飛んだ
大宇宙を飛ぶ―それは中国人にとって、長い間の夢だった 『西遊記』の主人公、孫悟空は、ひと飛び十万八千里を駆け 敦煌石窟の壁に描かれた飛天たちは、衣を翻しながら大空に浮かんだ いま、それが、現実となった 「神舟5号」は、中国初の宇宙飛行士を乗せて宇宙に飛び出し 地球を十四周回って、無事、地上に帰ってきた 中国は、米国とロシアに次ぐ第三の有人宇宙飛行に成功したが 運搬ロケットから宇宙船まで、すべてが国
Author: 侯若虹=文 Year 2003 Issue 12 PDF HTML
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7. 十三億の食の確保に挑むハイブリッド水稲の父、袁隆平さん
二人の「平」に頼る国際的には「オリエンタル·ミラクル·ライス」と呼ばれているスーパー·ハイブリッド(雑交)水稲は、中国の有名な水稲専門家、袁隆平さんが研究開発したものである。この水稲(中稲)は二〇〇四年に、一ムー(六·六七アール)当たりの生産量が七百キロという第一期の目標を実現したが、二〇〇五年には、第二期の目標である一ムー当たり八百キロをも達成した。この勢いで行けば、第三期の目標である一ムー当た
Author: 侯若虹=文 Year 2006 Issue 5 PDF HTML
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8. 相手探しに苦心 お見合いあれこれ
親を見れば子が分かる今、北京の公園では興味深い光景を目にすることができる。五、六十代の人々が東屋や水辺に集い、軽く言葉を交わしたり、何か書かれた紙を見せ合ったりしているのだ。一見、インテリ風の人もいれば、労働者風の人もいて、定年前の仕事が同じだったようには思えない。近寄っていくと、交流の輪の中には快く迎え入れてくれたが、取材や写真撮影はほとんどの人に拒否された。実は、彼らは子どもの結婚相手を探すた
Author: 侯若虹=文 Year 2007 Issue 9 PDF HTML
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9. 王朝の歴史にピリオド打った皇室庭園
北京の頤和園は、中国の典型的な皇室庭園であり、かつまた史上最後に建造された皇室庭園である。1998年12月に、ユネスコの世界文化遺産リストに登録された。頤和園(旧名·清漪園)は、北京市街区の西北郊外に位置し、清代の繁栄期である乾隆年間(一七三六~一七九五年)に創建された。乾隆帝は色を好まず、放蕩をきらい、ただ「山水の楽、懐に忘るあたわず」(『御制静宜園記』)を心情としていた。清漪園の施工平面図や立
Author: 劉世昭=写真·文 Year 2003 Issue 7 PDF HTML
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10. 皇位継承の「異変」ものがたる合葬墓
中国の封建時代の皇帝は、いずれも「厚葬以明孝」(葬を厚くして、孝を明らかにす)と唱えた。彼らは、国家の財力や物資を惜しみなくつかい、広大な規模の陵墓をみずからつくった。明·清時代の皇帝陵である明の顕陵(けんりょう)(湖北省)、清の東陵(とうりょう)(河北省)、西陵(せいりょう)(河北省)は、そうした陵墓の代表である。3カ所の陵墓は2000年12月、ユネスコの世界文化遺産リストに登録された。湖北省鍾
Author: 劉世昭=写真·文 Year 2003 Issue 9 PDF HTML